2013年7月29日月曜日

フィリップ・ジャコテ   Rouge gorge

Et, néanmoins           
                Gallimard 2001

   ROUGE GORGE (ロビン、ヨーロッパ駒鳥)     


   冬の夕暮れが頬のように優しいそぶりで燃え染まる頃、見上げれば空はきっぱりと透明を尽くし、空を通して何も見えないからには、何もないとはこのことだろうか・・・。それでも聖女と妖精によせるネルヴァルの詩句が胸によみがえり、今もほんのりと赤味の差した肌色で、この上なく純粋な重さのない魂に変容した妖精に私の庭で会えるとしたら・・・それはあまりに美しく、でき過ぎた夢なのかもしれない。そこにはむしろ水のように何かとても純粋なものが在ると思う。


庭仕事をしながら、ふと見れば間近にロビンがいて、話をしたいのか、口はきかないまでも君の側にいたいのではないかと言われそうな、彼はミニチュア歩兵、猫には格好の餌食。その喉もとの色をどう表そう?バラ色には似ても似つかず、かと言って緋色でも血の色でもなく、言うなれば赤煉瓦色、この例えは壁や石、そのがらがらという音まで連想させないとも限らないが、おなじみの暖炉の火とその炎の輝きを思い出すことで、それを帳消しにしてほしい、それなら、いわゆる赤に感じるような灼熱、残酷さ、兵士や戦勝者の類ではなく、心安い赤色だろう。彼はいつも楽しく歩き回る大地の色を、その羽にたくわえる、それは慣れ親しんだ炎、夕焼け空のスカーフ。だがそういった事は、ほとんど大したことではない。この鳥がそもそも大した鳥ではないのだから、この一時も、この仕事も、これらの言葉も。ぴょんぴょん跳ねる、ほんの僅かな熾、ちびっこ旗手、メッセージの無いメッセンジャー、色彩のもたらす計り知れない不思議さだ。たとえ子供の手に乗せても重さをほとんど感じないだろう。
そうしている間にも散り残った無花果の葉の秘やかな音が絶え絶えに恐る恐る耳に届けられ、さらに豊かに、それなのにもっと遠くからやってくるのは公園の高いプラタナスの音で、そのいずれもが見えざる風のざわめき、見えざる物の音である。その見えざる物に守られながらロビンと私は仕事に励む。彼はせっせとランタンを掲げて歩く。猫でもうろついていたらどうするのか。


   地を歩くこの鳥は親しい相棒のようなイメージを抱かれやすく、実におとなしく内気な様子で、他の鳥たちほどいたずらもしないため、身近なこの鳥に、無花果のしなやかな枝枝や、熊手で丁寧に梳られた土の友である子供の転生した魂を、つい見て取りたくなるのだが、いつか一日の終わりにロビンが私を導いてくれるのかもしれない、助けてほしくなったら力になってはくれまいか、などと戯言を言うつもりはない。人懐こそうな見かけと異なり、私のことなど全く気づかうことなく、ただそこに存在し、生きて、彼と同じように生き生きと目に映る空の下で、私が他のたくさんの物たちから、良くわからないながらも読みとってきた驚くべき不思議な言葉を、無意識にその赤い斑点を見せることで語りかけ、彼は今日も昨日も、とっくに私の助けになってくれている。今日という日に思いがけなく彼から授かった、いわゆるメッセージではないメッセージを、曲がりなりにも、それがまだ私にできる内に書き記したい。できることなら一大決心をして、まずは、成れの果てである病人とは縁を切り、その惨めな登場の前に言葉を取り上げて、彼がおぞましいしゃっくりで、私が恵まれて輝かせていたものを曇らせないようにする。もちろん病人を助けることは人間に可能な務めなのだから、不幸な彼も救われてほしいが、そういうことは決して外には漏れない個人的な問題として留め、他の皆を崩壊に追いやったある種の影(悪い兆候のようなもの)が、私の中からも生まれ出て、これまで私が何度も経験し手にしている世界の透明さとも言うべき「本調子」を後々遡って濁らせることにならないよう願う。腐敗に物を言わせてはならない。病や死を否定するのではないが本来よりいくらか軽くしたい。お定まりの屍に向かって行くことは楽しいはずもなく、ほとんど地獄のようでさえある道行きを、なんとかやり過ごさなければならない。とは言え、生きている私はともかくも今日まで生きてきた者であり、心をそなえ持つほんの小さな羽毛の球のような一羽のロビンが、その生者に話しかけようとしているかに思え、蜘蛛の巣よりもっと目に見えない網が、このわずかな存在である鳥とテラスの敷石の上を走る枯葉の音をつなぎ、もうとっくに夏の熱を失ってしまっている、ざらざらとした脆い大地(その大地を耕していた手にも熱がない)と、木々の下の影や木々の上の青い光ともつながっていく、この網は、あるいは鳥の来るべき死への罠で、網と共にあって遠からず訪れる死(たとえば私やロビンの)がその真ん中に位置するというのか。いや、その時は現実に生きていることが勝っていたので考えもしなかったが、見えない網の中心は不吉な闇などではあり得ず、網がこの一時に合わせ持つあらゆる要素が、実は生きるために語り、死に対して賭をしている、と想像することもできたはずだ。言葉の力は、生きる者にこそ与えるべきだろう。「死者は彼らの死の内に埋もれさせておくがいい。」この物言いは必ずしも無情というわけではない。言いたいのはこういうこと、
「闇は闇の者に任せ、生きている者は夜明けに至るランプを灯していなさい。




Travaillant au jardin, je vois soudain, à deux pas, un rouge-gorge ; on dirait qu'il veut vous parler, au moins vous tenir compagnie : minuscule piéton, victime toute désignée des chats. Comment montrer la couleur de sa gorge ? Couleur moins proche du rose, ou du pourpre, ou du rouge sang, que du rouge brique ; si ce mot n'évoquait une idée de mur, de pierre, même, un bruit de pierre cassante, qu'il faut oublier au profit de ce qu'il évoquerait aussi de feu apprivoisé, de reflet du feu ; couleur que l'on dirait comme amicale, sans plus rien de ce que le rouge peut avoir de brûlant, de cruel, de guerrier ou de triomphant. L'oiseau porte dans son plumage, qui est couleur de la terre sur laquelle il aime tant à marcher, cette sorte de foulard couleur de feu apprivoisé, couleur de ciel au couchant. Ce n'est presque rien, comme cet oiseau n'est presque rien, et cet instant, et ces tâches, et ces paroles. A peine une braise qui sautillerait, ou un petit porte-drapeau, messager sans vrai message : l'étrangeté insondable des couleurs. Cela ne pèserait presque rien, même dans une main d'enfant.
Philippe Jaccottet, Et néanmoins, Gallimard, 2001, p. 57.

2013年7月28日日曜日

フランス詩 ジャコテ 距離 Les Distances

距離」

ぐるぐる回る 雨燕   
空の高みを 飛び行けば
その空よりも なお高く 
見えない星が 巡り行く
夕陽の退いた 地の外れ 
赤い炎が 現れる
暗き砂漠の 砂の上

動作と距離の 領域に  
こうして住まう 者たちの      
心も こうして 移りゆく
 
樹木から鳥 鳥からはるか 
彼方の星へ 星から愛へ
こうして愛は 扉を閉めた 
家の中でも 増え巡り行き
ランプを手にし 
悩める者へ 近づいてくる 



           





L’ignorant    p.63

LES DISTANCES             à Armen Lubin


Tournent les martinets dans les hauteurs de l’air :
plus haut encore tournent les astres invisibles.
Que le jour se retire aux entrémités de la terre,
apparaîtront ces feux sur l’étendre de sombre sable...

Ainsi nous habitons un domaine de mouvements
et de distences ; ainsi le cœur
va de l’arbre à l’oiseau, de l’oiseau aux astres lointains,
de l’astre à son amour
dans la maison fermée s’accroî, tourne et travaille,
servir des soucieux portant une lampe à la main.






2013年7月23日火曜日

フランス散文詩 ギュスターヴ・ルー


        Bouvreuil                     Gustave Roud    

                                       


        鷽・ウソ(鳥名)                      

                                

     朝の散歩道で足下が覚束ないのは十二月の草地である。轍の多い地面に薄氷が煌めき、 荷車、馬、農夫、前夜にそこを通った者たちを映しているその様相も、朝の一踏みでたちどころにもとのぬかるみ。躓いて、おっと出し抜けに大きく腕をばたつかせようものなら、そこかしこの樹々や生垣から鳥たちの旋風が沸き起こっては、すぐに止んでしまう。そして、北風とむき出しの空が続く夜に縮こまっていた、この土地全体が太陽の下の視線に撃たれ、何かを成し終えて満たされる安らぎにも似た、そこからゆるゆると休息に滑り落ちていく、あの少し気だるい優しさを取り戻す。草から草へと、その霜に赤味が戻り、ハンノキやトネリコの向うで、どこからともなく吹いて来た風は村に立つ煙と戯れ、空のほんの際で雪に描き出された山々が浮かんでいる台座の儚くもあわれな青さを目にすれば、この胸には何の成す術もない。
     水車は開いた水門の近くに眠っている。十月十一月を通して、小麦の脱穀機が朝から晩まで嘆きの音を上げて叩きつける水の、大げさな音で沸き返る、その同じ場所の今の静けさを何と言おう。不動の水面は音もなく岩床と一つになり、表面の薄氷は流れの砂に散り潜み、葦や枝枝の下で白い輝きの混沌を呈する。冬は(そしてそれが冬の習い)ひっそりとその束の間の不在の内に風景を埋め、それを全うすべく、他の季節を真似て人を混乱させる。それで、枝いっぱいのクレマチスを陽の光のもとで一気に開花させて見せたりもする。 サンザシの生垣、日差しに輝く長い髪、風に放たれたブロンドの馬の鬣が見え、、、それも近づいてしまえば全て消え去る。おかしな蔓を手繰り寄せると、種子のロザリオか、引いても引いても毛羽立った枯れ枝の束。ああ!これが冬というものだ、時間は消されていない!ブルーブラックに染まる納屋の影が草の植わった土手を滑り降りれば、雪の色をした別の影が姿を現す。この、霜と影の不揃いな転写は太陽の弱さを示している。私の目は、一時そこに留まり、続いて一足飛びに一番高いトネリコの木のてっぺんに駆け上がり、そこにはほんの小さな鳥の姿をした、ばら色の炎が燃えている。この視線に合わせるかのように、鳥は鳴き、一声にして、、、冬を歌い尽くす。


      はつらつと体力気力に満ち、それを自覚している時、人は自身の目と耳を疑い得ず、正にその事が私には文字通りの無視覚、無聴覚だと思える。精神身体がある種極端な状態にある場合のみ、例えば疲労、それも虚脱状態の一歩手前、病気、長くひどい苦痛を受けたための心の侵害だけが、真の意味での聴く力見る力を与え得る。これは、いわゆるプロタン曰くの「目を閉じよ、内なる目を開くために」とは全く違う。要は至高の瞬間、そこで世界との交換が与えられ、そこで世界は判読できる空しい光景であることを辞め、そうして尽きせぬメッセージのシャワー、止めどなく叫び声と歌と動作の繰り返されるコンサートになり、そこでは、生きとし生けるもの、ありとあらゆる物(全生物、全物質)が 表徴の担い手であると同時に表徴そのものになる。至高の瞬間、自分の、滑稽なほど絶対的な内的力が崩れるのを感じ、身震いしながらも、外部から来た確かな叫び声に身を委ねる。
   この種のメッセージからは、詩だけが(言うまでもないことだが)幾許かの反映を示唆される。しばしば詩が、泣く泣くその暗示を諦めてしまうのはメッセージがほとんど片言で、あまりにも曰く言い難いものだからだ。詩は意識に目覚めるが、まだその唇は重く、言葉にならないか調子外れのままで 敢えて口にできないーーーながらも真実を含んでいる。仮に敢えて口をすべらすとすれば、メッセージの源も大切さも忘れてしまったからだ。詩はたった二行で驚くべき秘密を漏らし、そして黙する。アイヒェンドルフは なくなった娘への詩の中で、傷心の道行きの(打ちひしがれて道を行く彼の)頭上で鳴くアルエットのことを語っている。

    何も言わず泣いている私に  鳥たちがもたらす
    それは父のためにと   君の託したメッセージ


    涙無くしては、彼はメッセージのない歌を聞くことになっただろう。彼がこの鳥たちの恐るべき秘密を知り得たのは、彼の喪の一連の責め苦と引き換えにであった。美しく心打つものだとしても、この二行詩には詩的イメージらしきものは何ら含まれていない。この詩はありのまま端正な真実のみを言う。
   この秘密は君と同じだ、ウソよ、枝から枝へ、どこからともなく吹く風に吹かれて行く薔薇色の炎よ。私には解っている、一日一日、澱んで行く流れの辺り、泡の合間に枯葉の漂っていたあの懐かしい十二月以来だ。君の声が初めてこの胸を貫いた時「ああ、この空ろな声は、この地上から聞こえて来るのではない!」と叫んだものだ。ただ一声、フルートのような、少し嗄れた、それでいてこんなにも優しい、嘆きか、呼び声か、おずおずとした祈りなのか、、、「それでは一体、誰が嘆き誰が祈り誰が私を呼ぶのだろう?この歌の向こうから?」今でさえ疑問に思う。そして、もうわかっている。

    それはともかく、今日私の耳に聴こえるのは君のメッセージではなく、一声にして冬の全てを歌い切る君の歌だけ、それは覇気なく止まっているように見える冬の時間さえ打ち鳴らす。その一打ちごとに心まで揺らぐ。心は身を守るため、より秀れたイメージを呼び出そうとするが、この沸き起こる鳴き声はどんな詩よりも高みにあるので到底敵わない。はぐれ鳥よ、君と共に私も行こうか、そうだ、どこまでも?ならば慰みなりと最後に一度記憶に呼びかけよう、霜と氷を追い払い、枝枝の上にあの六月の空を蘇らせてくれる思い出、立ち並ぶカエデ、そこを三羽のツバメがその影と共に乱れ飛ぶ、あるいは枝の間からひょいと現れた馬、その鹿毛色の裸の騎手は?「彼は収穫期に、君の友だっただろう、そしてもっと他にもまだあるはず!」なんとその名を思い出が私に告げようとするも空しく声は途切れた。

  « Je crois que l’homme au plein de sa vigueur et de sa force, et qui le sent assez pour ne pas douter de son regard, de son ouïe, est, à la lettre, un aveugle et un sourd. Je crois que seuls certains états extrêmes de l’âme et du corps : fatigue (au bord de l’anéantissement), maladie, invasion du cœur par une subite souffrance maintenue à son paroxysme, peuvent rendre à l’homme sa vraie puissance d’ouïe et de regard. Nulle allusion, ici, à la parole de Plotin : « Ferme les yeux, afin que s’ouvre l’œil intérieur. » Il s’agit de l’instant suprême où la communion avec le monde nous est donnée, où l’univers cesse d’être un spectacle parfaitement lisible, entièrement inane, pour devenir une immense gerbe de messages, un concert sans cesse recommencé de cris, de chants, de gestes où tout être, toute chose est à la fois signe et porteur de signe. L’instant suprême aussi où l’homme sent crouler sa risible royauté intérieure et tremble et cède aux appels d’un ailleurs indubitable.
    De ces messages, la poésie seule (est-il besoin de le dire ?) est digne de suggérer quelque écho. Souvent elle y renonce en pleurant, car ils sont presque tous balbutiés à la limite de l’ineffable. Elle s’éveille de sa connaissance, les lèvres lourdes encore de paroles absentes ou folles qu’elle n’ose redire – et qui contiennent la vérité. Ou si elle ose les redire, c’est qu’elle semble avoir oublié leur origine, leur importance. Elle divulgue en deux vers un secret bouleversant, puis se taît. »


Gustave Roud, « Bouvreuil », in Air de la solitude [1945], in Gustave Roud par Philippe Jaccottet, Seghers, Collection Poètes d’aujourd’hui, 1968, rééd. 2002, pp. 128-129. 


2013年7月19日金曜日

フランス詩  フィリップ・ジャコテ  LE LOCATAIRE




「間借り人」              フランシス・ポンジュに



私たちは 空の高みの 軽い家に住まい
風と光が 互いに交わりつつ その家を間仕切る
時に 全てが透明なあまり 行く年月を 忘れてしまい 
空に開かれた扉から 一つまた一つ ここぞとばかりに飛びしきる

木々は眼下に 草はさらに下 世界は緑
朝を 煌めかせ 夜ともなれば 色あせて
遥か遠く息づく山々は 霞のようにあり
あてもなく眺めるなら 通り抜けて

光の家は 深淵の上に築かれ 震えている
だから その響きのよどみの内に 急いで住もう
遠からず 埃にくすんでしまうだろう
あるいは 砕け散り あっけなく刃傷沙汰 

間借り人を 土に埋めてやってくれ 
君がだよ お手伝いさん
彼は目を閉じている 庭に倒れていたんだ
そそくさと君の愛を 言い終えたなら
さあ 緑滴る 水の家に 彼を降ろしてやってくれ


 LE  LOCATAIRE           à Francis Ponge.

Nous habitons une maison légère haut dans l’air,
le vent et la lumière la cloisonnent en se croisant,
parfois tout est si clair que nous en oublions les ans,
nous volons dans un ciel à chaque porte plus ouvert.   

Les arbres sont en bas,l’herbe plus bas, le monde vert,
scintillant le matin et, quand vient la nuit,s’éteignant,  
et les montagnes qui respirent dans l’éloignement
sont si minces que le regard errant passe au travers.

La lumière est bâtie sur un abîme, elle est tremblante,
hâtons-nous donc de demeurer dans ce vibrant séjour,
car elle s’enténèbre de poussière en peu de jours
ou bien elle se brise et tout à coup nous ensanglante.

Porte le locataire dans la terre, toi, servante !    
Il a les yeux fermés, nous l’avons trouvé dans la cour,
si tu lui as donné entre deux portes ton amour,
descends-le maintenant dans l’humide maison des plantes.




2013年7月12日金曜日

Une poète,haïkiste japonaise  加賀千代女  あさがおにつるべとられてもらいみず


   Kaganochiyojyo

 加賀千代女は1703年、加賀国松任町(石川県白山市)に表具師の娘として生まれました。12才から俳人岸弥左衛門の弟子となり、17才で、芭蕉十哲の一人である各務支考
(かがみしこう)に認められました。
※その折りの句「ほととぎす郭公(ほととぎす)とて明けにけり」
金沢へ嫁いで一年後に夫は病没。52才で剃髪し、尼として静かにくらしつつ、その生涯を通して多くの俳人と交友や活動を続け、1700の俳句を残しています。

  Kaganochiyojyo est née en 1703, dans la préfecture de Ishikawa, comme fille d’un encadreur.
Elle a commencé à apprendre l’art des haiku à l’âge de 12 ans. Et, à 17 ans, elle a été admise par un des disciples du grand haïkiste, Bashô. Son mari est mort de maladie après un an de mariage. Elle a reçu la tonsure en 1754 (elle a alors 52ans). Elle était de santé fragile, mais ella a mené une vie paisible dans un temple comme religieuse et elle a aussi été active, au sein d’un groupe d’amis, comme haïkiste, et a laissé 1700 haïku.

5 haïkus mémorables
1.   をしむなよ 芙蓉(ふよう)のかげの (あま)やどり

            雨が降ってきたのでムクゲの影で雨が止むのを待ちました。
        花や緑の中にいて何もしないで、じっと雨音を聞いている、・・・
        それも、思えば心豊かな一時ではありませんか?
        雨宿りを憂えてはなりません。

                Il pleut et j’attends que la pluie cesse en me protégeant sous les mauves.
        Entouré ainsi de fleurs et de feuilles, je reste sans rien faire
       sinon écouter le bruit de pluie.
                Mais n’est-ce pas un moment riche de toute la présence du monde ?
                Comment pourrais-je regretter un tel moment ?

Tu ne perds rien
à ce moment passé
abritée de la pluie sous les mauves

2. 朝顔(あさがお)に 釣瓶(つるべ)とられて もらい(みず

                  朝顔の蔓が伸びて井戸水を汲むつるべに巻き付いています。
        朝顔をちぎりたくないので、
        お隣へ水をもらいに行きました。

                  Le volubilis a grandi et s’est enroulé autour du seau du puits.
                        Ne voulant pas l’arracher, je suis allée demander de l’eau à un voisin.



Demander de l'eau au voisin                   
 Le volubilis s’est emparé             
  de mon seau de puits    

timbres-poste du Japon









3. ()から もの こぼるる(おと)  (あき)(かぜ)

     (静かな部屋に一人いると)物の落ちる音がしました。
     木の枝に溜まった落ち葉、木の実でしょうか?
     秋の風は、冷たく強く吹きます。

          (Je suis toute seule dans ma chambre.)
          J’ai entendu le bruit de quelque chose qui tombe.
          Est-ce le bruit de feuilles mortes ou de fruits chus d’un arbre ?
          Le vent glacé de l’automne souffle violemment et efface tout.

         Du haut d’un arbre
   Bruit de quelque chose qui tombe
  Le vent d’automne !

4. (かみ)()() ()のひまあけて 炬燵(こたつ)かな 
    
私がこうしてゆっくり炬燵にあたって
句を詠んだりしているのも 髪を結う暇が空いたからですね。
(仏門に入るため剃髪した後の句 52)

              Je me réchauffe auprès du braséro.
              Je compose des poèmes. Et tout cela je le peux,
              parce que mes mains ne sont plus occupées par les soins de ma coiffure.
(poème écrit après avoir reçu la tonsure en 1754, c’est à dire
aprés s’être rasé la tête en signe de renoncement au monde --la poétesse a 52 ans)


Au lieu d’arranger ma coiffure
Réchauffer mes mains
contre le braséro         


5. (つき)見て(みて) (われ)はこの()をかしくかな   (辞世の句)


            月も見ました。
            長く病床にありますが、今宵、中秋の名月を愛でることができました。
            この世のあらゆる事を味わいました。
            今はもう感謝して行くばかりです。さようなら

                ( Poème écrit au moment de mourir / de quitter le monde )
              Je suis alitée depuis longtemps, mais cette nuit j’ai pu chérir la belle lune de
              l’automne. J’ai pu goûter tout ce que la vie peut donner.
               Et c’est avec un profond sentiment de gratitude que je quitte tout cela. Adieu
               (en1775, 73ans)

   
La lune que je contemple encore une fois
C’est dans sa lumière
Que je vais quitter ce monde tant aimé


                   Contemplant la pleine lune
                    qui a rempli ma vie                  

                    je quitte ce monde 

                       

※「かしくの説明 畏い かしこい → かしこ:女性の手紙末尾 挨拶言葉=さようなら

死を前にして、煩悩が消え月光のように静かな境地、仏教で言うところの月愛三昧(げつあいざんまい)に入り、感謝の心を読んだ詩と思われる。

« Kashiku» : « kashikoi » est une formule de politesse qu’emploient les femmes à la fin d’une lettre pour dire « au revoir ». Les tourments de la vie ont disparu et la poétesse est dans un état de sérénité parfaite. C’est cet état qu’évoque la lumière de la lune. Le poème exprime sa gratitude envers la vie.