Et, néanmoins
Gallimard 2001
Gallimard 2001
ROUGE GORGE (ロビン、ヨーロッパ駒鳥)
冬の夕暮れが頬のように優しいそぶりで燃え染まる頃、見上げれば空はきっぱりと透明を尽くし、空を通して何も見えないからには、何もないとはこのことだろうか・・・。それでも聖女と妖精によせるネルヴァルの詩句が胸によみがえり、今もほんのりと赤味の差した肌色で、この上なく純粋な重さのない魂に変容した妖精に私の庭で会えるとしたら・・・それはあまりに美しく、でき過ぎた夢なのかもしれない。そこにはむしろ水のように何かとても純粋なものが在ると思う。
庭仕事をしながら、ふと見れば間近にロビンがいて、話をしたいのか、口はきかないまでも君の側にいたいのではないかと言われそうな、彼はミニチュア歩兵、猫には格好の餌食。その喉もとの色をどう表そう?バラ色には似ても似つかず、かと言って緋色でも血の色でもなく、言うなれば赤煉瓦色、この例えは壁や石、そのがらがらという音まで連想させないとも限らないが、おなじみの暖炉の火とその炎の輝きを思い出すことで、それを帳消しにしてほしい、それなら、いわゆる赤に感じるような灼熱、残酷さ、兵士や戦勝者の類ではなく、心安い赤色だろう。彼はいつも楽しく歩き回る大地の色を、その羽にたくわえる、それは慣れ親しんだ炎、夕焼け空のスカーフ。だがそういった事は、ほとんど大したことではない。この鳥がそもそも大した鳥ではないのだから、この一時も、この仕事も、これらの言葉も。ぴょんぴょん跳ねる、ほんの僅かな熾、ちびっこ旗手、メッセージの無いメッセンジャー、色彩のもたらす計り知れない不思議さだ。たとえ子供の手に乗せても重さをほとんど感じないだろう。
そうしている間にも散り残った無花果の葉の秘やかな音が絶え絶えに恐る恐る耳に届けられ、さらに豊かに、それなのにもっと遠くからやってくるのは公園の高いプラタナスの音で、そのいずれもが見えざる風のざわめき、見えざる物の音である。その見えざる物に守られながらロビンと私は仕事に励む。彼はせっせとランタンを掲げて歩く。猫でもうろついていたらどうするのか。
地を歩くこの鳥は親しい相棒のようなイメージを抱かれやすく、実におとなしく内気な様子で、他の鳥たちほどいたずらもしないため、身近なこの鳥に、無花果のしなやかな枝枝や、熊手で丁寧に梳られた土の友である子供の転生した魂を、つい見て取りたくなるのだが、いつか一日の終わりにロビンが私を導いてくれるのかもしれない、助けてほしくなったら力になってはくれまいか、などと戯言を言うつもりはない。人懐こそうな見かけと異なり、私のことなど全く気づかうことなく、ただそこに存在し、生きて、彼と同じように生き生きと目に映る空の下で、私が他のたくさんの物たちから、良くわからないながらも読みとってきた驚くべき不思議な言葉を、無意識にその赤い斑点を見せることで語りかけ、彼は今日も昨日も、とっくに私の助けになってくれている。今日という日に思いがけなく彼から授かった、いわゆるメッセージではないメッセージを、曲がりなりにも、それがまだ私にできる内に書き記したい。できることなら一大決心をして、まずは、成れの果てである病人とは縁を切り、その惨めな登場の前に言葉を取り上げて、彼がおぞましいしゃっくりで、私が恵まれて輝かせていたものを曇らせないようにする。もちろん病人を助けることは人間に可能な務めなのだから、不幸な彼も救われてほしいが、そういうことは決して外には漏れない個人的な問題として留め、他の皆を崩壊に追いやったある種の影(悪い兆候のようなもの)が、私の中からも生まれ出て、これまで私が何度も経験し手にしている世界の透明さとも言うべき「本調子」を後々遡って濁らせることにならないよう願う。腐敗に物を言わせてはならない。病や死を否定するのではないが本来よりいくらか軽くしたい。お定まりの屍に向かって行くことは楽しいはずもなく、ほとんど地獄のようでさえある道行きを、なんとかやり過ごさなければならない。とは言え、生きている私はともかくも今日まで生きてきた者であり、心をそなえ持つほんの小さな羽毛の球のような一羽のロビンが、その生者に話しかけようとしているかに思え、蜘蛛の巣よりもっと目に見えない網が、このわずかな存在である鳥とテラスの敷石の上を走る枯葉の音をつなぎ、もうとっくに夏の熱を失ってしまっている、ざらざらとした脆い大地(その大地を耕していた手にも熱がない)と、木々の下の影や木々の上の青い光ともつながっていく、この網は、あるいは鳥の来るべき死への罠で、網と共にあって遠からず訪れる死(たとえば私やロビンの)がその真ん中に位置するというのか。いや、その時は現実に生きていることが勝っていたので考えもしなかったが、見えない網の中心は不吉な闇などではあり得ず、網がこの一時に合わせ持つあらゆる要素が、実は生きるために語り、死に対して賭をしている、と想像することもできたはずだ。言葉の力は、生きる者にこそ与えるべきだろう。「死者は彼らの死の内に埋もれさせておくがいい。」この物言いは必ずしも無情というわけではない。言いたいのはこういうこと、
「闇は闇の者に任せ、生きている者は夜明けに至るランプを灯していなさい。」
「闇は闇の者に任せ、生きている者は夜明けに至るランプを灯していなさい。」
Travaillant au jardin, je vois soudain, à deux pas, un rouge-gorge ; on dirait qu'il veut vous parler, au moins vous tenir compagnie : minuscule piéton, victime toute désignée des chats. Comment montrer la couleur de sa gorge ? Couleur moins proche du rose, ou du pourpre, ou du rouge sang, que du rouge brique ; si ce mot n'évoquait une idée de mur, de pierre, même, un bruit de pierre cassante, qu'il faut oublier au profit de ce qu'il évoquerait aussi de feu apprivoisé, de reflet du feu ; couleur que l'on dirait comme amicale, sans plus rien de ce que le rouge peut avoir de brûlant, de cruel, de guerrier ou de triomphant. L'oiseau porte dans son plumage, qui est couleur de la terre sur laquelle il aime tant à marcher, cette sorte de foulard couleur de feu apprivoisé, couleur de ciel au couchant. Ce n'est presque rien, comme cet oiseau n'est presque rien, et cet instant, et ces tâches, et ces paroles. A peine une braise qui sautillerait, ou un petit porte-drapeau, messager sans vrai message : l'étrangeté insondable des couleurs. Cela ne pèserait presque rien, même dans une main d'enfant.