2013年7月23日火曜日

フランス散文詩 ギュスターヴ・ルー


        Bouvreuil                     Gustave Roud    

                                       


        鷽・ウソ(鳥名)                      

                                

     朝の散歩道で足下が覚束ないのは十二月の草地である。轍の多い地面に薄氷が煌めき、 荷車、馬、農夫、前夜にそこを通った者たちを映しているその様相も、朝の一踏みでたちどころにもとのぬかるみ。躓いて、おっと出し抜けに大きく腕をばたつかせようものなら、そこかしこの樹々や生垣から鳥たちの旋風が沸き起こっては、すぐに止んでしまう。そして、北風とむき出しの空が続く夜に縮こまっていた、この土地全体が太陽の下の視線に撃たれ、何かを成し終えて満たされる安らぎにも似た、そこからゆるゆると休息に滑り落ちていく、あの少し気だるい優しさを取り戻す。草から草へと、その霜に赤味が戻り、ハンノキやトネリコの向うで、どこからともなく吹いて来た風は村に立つ煙と戯れ、空のほんの際で雪に描き出された山々が浮かんでいる台座の儚くもあわれな青さを目にすれば、この胸には何の成す術もない。
     水車は開いた水門の近くに眠っている。十月十一月を通して、小麦の脱穀機が朝から晩まで嘆きの音を上げて叩きつける水の、大げさな音で沸き返る、その同じ場所の今の静けさを何と言おう。不動の水面は音もなく岩床と一つになり、表面の薄氷は流れの砂に散り潜み、葦や枝枝の下で白い輝きの混沌を呈する。冬は(そしてそれが冬の習い)ひっそりとその束の間の不在の内に風景を埋め、それを全うすべく、他の季節を真似て人を混乱させる。それで、枝いっぱいのクレマチスを陽の光のもとで一気に開花させて見せたりもする。 サンザシの生垣、日差しに輝く長い髪、風に放たれたブロンドの馬の鬣が見え、、、それも近づいてしまえば全て消え去る。おかしな蔓を手繰り寄せると、種子のロザリオか、引いても引いても毛羽立った枯れ枝の束。ああ!これが冬というものだ、時間は消されていない!ブルーブラックに染まる納屋の影が草の植わった土手を滑り降りれば、雪の色をした別の影が姿を現す。この、霜と影の不揃いな転写は太陽の弱さを示している。私の目は、一時そこに留まり、続いて一足飛びに一番高いトネリコの木のてっぺんに駆け上がり、そこにはほんの小さな鳥の姿をした、ばら色の炎が燃えている。この視線に合わせるかのように、鳥は鳴き、一声にして、、、冬を歌い尽くす。


      はつらつと体力気力に満ち、それを自覚している時、人は自身の目と耳を疑い得ず、正にその事が私には文字通りの無視覚、無聴覚だと思える。精神身体がある種極端な状態にある場合のみ、例えば疲労、それも虚脱状態の一歩手前、病気、長くひどい苦痛を受けたための心の侵害だけが、真の意味での聴く力見る力を与え得る。これは、いわゆるプロタン曰くの「目を閉じよ、内なる目を開くために」とは全く違う。要は至高の瞬間、そこで世界との交換が与えられ、そこで世界は判読できる空しい光景であることを辞め、そうして尽きせぬメッセージのシャワー、止めどなく叫び声と歌と動作の繰り返されるコンサートになり、そこでは、生きとし生けるもの、ありとあらゆる物(全生物、全物質)が 表徴の担い手であると同時に表徴そのものになる。至高の瞬間、自分の、滑稽なほど絶対的な内的力が崩れるのを感じ、身震いしながらも、外部から来た確かな叫び声に身を委ねる。
   この種のメッセージからは、詩だけが(言うまでもないことだが)幾許かの反映を示唆される。しばしば詩が、泣く泣くその暗示を諦めてしまうのはメッセージがほとんど片言で、あまりにも曰く言い難いものだからだ。詩は意識に目覚めるが、まだその唇は重く、言葉にならないか調子外れのままで 敢えて口にできないーーーながらも真実を含んでいる。仮に敢えて口をすべらすとすれば、メッセージの源も大切さも忘れてしまったからだ。詩はたった二行で驚くべき秘密を漏らし、そして黙する。アイヒェンドルフは なくなった娘への詩の中で、傷心の道行きの(打ちひしがれて道を行く彼の)頭上で鳴くアルエットのことを語っている。

    何も言わず泣いている私に  鳥たちがもたらす
    それは父のためにと   君の託したメッセージ


    涙無くしては、彼はメッセージのない歌を聞くことになっただろう。彼がこの鳥たちの恐るべき秘密を知り得たのは、彼の喪の一連の責め苦と引き換えにであった。美しく心打つものだとしても、この二行詩には詩的イメージらしきものは何ら含まれていない。この詩はありのまま端正な真実のみを言う。
   この秘密は君と同じだ、ウソよ、枝から枝へ、どこからともなく吹く風に吹かれて行く薔薇色の炎よ。私には解っている、一日一日、澱んで行く流れの辺り、泡の合間に枯葉の漂っていたあの懐かしい十二月以来だ。君の声が初めてこの胸を貫いた時「ああ、この空ろな声は、この地上から聞こえて来るのではない!」と叫んだものだ。ただ一声、フルートのような、少し嗄れた、それでいてこんなにも優しい、嘆きか、呼び声か、おずおずとした祈りなのか、、、「それでは一体、誰が嘆き誰が祈り誰が私を呼ぶのだろう?この歌の向こうから?」今でさえ疑問に思う。そして、もうわかっている。

    それはともかく、今日私の耳に聴こえるのは君のメッセージではなく、一声にして冬の全てを歌い切る君の歌だけ、それは覇気なく止まっているように見える冬の時間さえ打ち鳴らす。その一打ちごとに心まで揺らぐ。心は身を守るため、より秀れたイメージを呼び出そうとするが、この沸き起こる鳴き声はどんな詩よりも高みにあるので到底敵わない。はぐれ鳥よ、君と共に私も行こうか、そうだ、どこまでも?ならば慰みなりと最後に一度記憶に呼びかけよう、霜と氷を追い払い、枝枝の上にあの六月の空を蘇らせてくれる思い出、立ち並ぶカエデ、そこを三羽のツバメがその影と共に乱れ飛ぶ、あるいは枝の間からひょいと現れた馬、その鹿毛色の裸の騎手は?「彼は収穫期に、君の友だっただろう、そしてもっと他にもまだあるはず!」なんとその名を思い出が私に告げようとするも空しく声は途切れた。

  « Je crois que l’homme au plein de sa vigueur et de sa force, et qui le sent assez pour ne pas douter de son regard, de son ouïe, est, à la lettre, un aveugle et un sourd. Je crois que seuls certains états extrêmes de l’âme et du corps : fatigue (au bord de l’anéantissement), maladie, invasion du cœur par une subite souffrance maintenue à son paroxysme, peuvent rendre à l’homme sa vraie puissance d’ouïe et de regard. Nulle allusion, ici, à la parole de Plotin : « Ferme les yeux, afin que s’ouvre l’œil intérieur. » Il s’agit de l’instant suprême où la communion avec le monde nous est donnée, où l’univers cesse d’être un spectacle parfaitement lisible, entièrement inane, pour devenir une immense gerbe de messages, un concert sans cesse recommencé de cris, de chants, de gestes où tout être, toute chose est à la fois signe et porteur de signe. L’instant suprême aussi où l’homme sent crouler sa risible royauté intérieure et tremble et cède aux appels d’un ailleurs indubitable.
    De ces messages, la poésie seule (est-il besoin de le dire ?) est digne de suggérer quelque écho. Souvent elle y renonce en pleurant, car ils sont presque tous balbutiés à la limite de l’ineffable. Elle s’éveille de sa connaissance, les lèvres lourdes encore de paroles absentes ou folles qu’elle n’ose redire – et qui contiennent la vérité. Ou si elle ose les redire, c’est qu’elle semble avoir oublié leur origine, leur importance. Elle divulgue en deux vers un secret bouleversant, puis se taît. »


Gustave Roud, « Bouvreuil », in Air de la solitude [1945], in Gustave Roud par Philippe Jaccottet, Seghers, Collection Poètes d’aujourd’hui, 1968, rééd. 2002, pp. 128-129.