2013年8月23日金曜日

フランス詩 Au dernier quart de la nuit 

あと少しの夜に   

               フィリップ・ジャコテ
口づけと熾火で薔薇色の
美しい人の部屋の外へ
逃げるように空を指さす
オリオン 大熊座 オンベル
そっと寄り添う影に

そして今度は
かげりつつもまだ
残されている光がたもつ 夜の明るみの中
大地へたどり着こうとする陽の光を突っ切って
鳩が 軌跡を描く


空に一番近いところでまで起き上がった大地が
そこに果てる
(神の不可視な夢がさまよう 光の中)
石と幻の 間
雪、それは 逃げていく 白テン


ああ暗闇の(とも) 君には聞こえるだろうか
夜の名残の灰が 
この上どうやって光に身を任そうかと
聴き耳をたてている
水があふれるように下りてきて  草や岩の所まで届く音
春一番の鳥たちが讃える唄は
しだいに長くなる一日  しだいに近づいてくる陽射し

冬の森に囲まれた領域に 踏み込まなくとも 
この特別な光は 君のものだ
それは 燃えさかる薪でもなければ  
枝に掛かるランプでもない

それは 樹肌の上の陽の光
まき散らされる愛
おそらくは 斧が力を与える 至高の輝き









 Au dernier quart de la nuit     Air 1967

Hors de la chambre de la belle
rose de braise, de baisers
le fuyard du doigt désignait
Orion, l’Ourse, l’Ombelle
à l’ombre qui l’accompagnait

Puis de nouveau dans la lumière,
par la lumière même usé,
à travers le jour vers la terre
cette course de tourterelles

Là où la terre s’achève
levée au plus près de l’aire
(dans la lumière où le rêve
 invisible de Dieu erre)

entre pierre et songerie
cette neige: hermine enfuie

O compagne du ténébreux
entends ce qu’écoute sa cendre
afin de mieux céder au feu :

les eaux abondantes descendre
aux degrés d’herbes et de roche
et les premiers oiseaux louer
la toujours plus longue journée
la lumière toujours plus proche

Dans l’enceinte du bois d’hiver
sans entrer tu peux t’emparer
de l’unique lumière due:
elle n’est pas ardent bûcher
ni lampe aux branches suspendue

Elle est le jour sur l’écorce
l’amour qui se dissémine
peut-être la clarté divine
à qui la hache donne force



「ジャコテの詩の中で」

物と私をへだてる空間を切って一瞬の扉を開けるのは、鳥の飛翔であり,
剣の煌めく一太刀(エネルギー、言葉、強い感覚など)であり,
木々を輝かせる陽光である。
いずれも生きた人の声や息、眼差し、手足なくしては存在しない。知覚されない。
物と私の距離を縮める事はできなくとも、空間に私の鳥(視線・声)を飛ばせたり、
あるいは星座(視点)を置くようにして、
人は何もない場所に距離を思い描くことができる。
それが空に浮かぶ軽い家。
それは自然と私を友好的に共存させるし、
それが刹那、究極の喜びのように感じることがある



2013年8月13日火曜日

どうか部屋の片隅に彼がいてくれますように

「教え」             フィリップ・ジャコテ

 Leçons                                 Philippe Jaccottet    

L’encre serait de l’ombre  p.217  (Poésies 1946-1967)  Gallimard
                         
どうかこの部屋の片隅に 彼がいてくれますように。
彼の最期を思い出しながら 私がこうしてまとめている文章を
今までずっとそうしてくれていたように 推し測ってくれますように。
真っ直ぐな人だから 私の手が迷い 過つことのないように
きっと案配してくれますように。                 

思い返せば、
無知で臆病な私は、自分の目をイメージで覆うことで、
かろうじて生き存え、死に行く者や死者の案内人を気取っていた。
私という、安穏な詩人は、
労を惜しみ、有りや無しやの苦しみで、 
弁えもなく深淵に道筋をつけようとしていた。

そして今や、風前の灯火、いっそう乱れ震える手で、
今度は空中に 道を描き直そうとしている。   

はるかな山々の懐に抱かれる ブドウ 無花果
ゆっくり行く雲の下 
そしてあの生気     
みんな今でも私を手伝ってくれるだろうか。

年長者には隠居の時が訪れ
およそ力もなく。気がつけば、
日ごとに 足下は ますます覚束ない。

木々の間を流れる水のように さらさらと過ぎ越して行かなくともよい。
水は曲がることを知らないのだから。

とはいえ 厳格な師は 早くも はるか彼方へ連れ去られ
私はどうやって彼に寄り添えばいいのだろう

果物のランプも 
果敢な鳥も 
最も純粋なイメージもいらない
それはむしろ とりかえられる 肌着や水 
夜を明かす手    そしてむしろ 辛抱強く寄り添う心  

私たちと明晰を隔てるものからは遠ざかり
軽視されがちな寛容に席を譲ることだけを願う。  

年配の人々に耳をかそう
彼らは人生の日々に調和している
彼らの足跡に忍耐を学ぼう、
私ほど できの悪い生徒もいまいが。

おそらくは 最初の一撃が 苦悩の曙光となる。
師が投げつけられるとは なんと言うことだろう 
種子でもある 我が先達が このように懲らしめられるとは、 
そして か弱い幼子のように 
今新たに大きすぎる床を得て・・・
泣けども救われぬ子供のように
救いのない場所で身をよじり 
追い詰められ 釘付けにされ 空っぽになるとは。
彼には ほとんど重さが無い。
私たちを抱えていた大地が揺れる。

私がかろうじて読み取ったのは 
驚きを越えるものだった。 茫然自失
一世紀もかけて踏み越えるべき闇を 目前にしたような
これら苦しみのうねりを見る悲嘆。
名指しがたい者が 彼の生命の柵に突き刺さった。
突然襲いかかる深淵。身を守る手立ては 
深淵に似て ぱっくり開いた 悲哀しかない。

いつも自分の畑と囲いを 慈しんでいた彼
家の鍵を守っていた彼。

最も遠い星と私たちの間には 
思いもよらない隔たりが絶えずある。
まるで一本の線のように、綱のように、道のように。
だがもしあらゆる距離を超えた場所が 他にあるとすれば、
彼が消えていったのは、そこに違いない。
全ての星より遠くもなければ近くもない、
しかし、すでにほとんど別の空間に、
測定不能な、外に運ばれて。
私たちの「物指し」であった彼、彼から私たちへの道のりはもうない、
刀を折るように 膝で打ち砕かれた。

唖。言葉のつながりが崩れ始め、
やがて彼は言葉の世界から出て行ってしまう。
分かれ目だ。あと少しの時間、彼と共にいよう。
彼にはほとんど何も聞きわけられない。
私たちの言葉を忘れたか、もう聴くのはやめにしたかも知れない異邦人に
呼びかけようというのか?
彼は他事に忙しい。
もう何も用がない。
こちらを向いてくれても、
背中しか見えないのと同じこと。

そんなに丸く背を曲げて 
いったいどこをくぐり抜けていくのか?

「誰が助けてくれよう。誰もここまでは来られまい。私の手を取ってくれる者も、これほど震える心の手までは握れまい。目前に幕を引かれても、私には見えてしまう。昼も夜も、私をマントのように包み込んでいてくれる者も、あの火、あの冷気には一切太刀打ちできまい。私を取り囲む兵を遮る盾など誰も持っていない。奴らの松明はそこの路地にまで迫り、全てはもう遅すぎる。今や私に残されているのは ただ果てしない長さと悪しきものの極み。」
かくして、彼は闇の狭量の内に 黙りこくっているのだろうか。

それが今
張り出した山のようになって 私たちにのしかかる。

凍える闇の中で 私たちは崇めるか忌むに帰する。
誰しも 見るに忍びない。

何者かが 彼を貫き打ち砕く。
何とも哀れな!
別の世界が身体に くさびを打ち込む時。

私が 光をこの刃に調和させるなどと期待しないでくれ。

額を山の壁におしつけ
昼でも寒く 
私たちは恐怖と哀れみにひたる。
陽射しの中 鳥たちは棘のように並び立つ。

それを恐怖とも汚物とも名指し得る、
排泄の布に隠された「おぶつ」と声にすることさえ。   
それについて詩人が いくらか気取って試みたところで
作品のページに載ることはなかろう。

汚物とは口にすべき物でもなければ見るべき物でもない
(もう唯黙って目をつむって)飲んでしまおう。

それを同時に土のように素朴だとも言える。

これほど濃い夜の闇にも それを包み込めない
ということがあろうか?

無限は われわれを結び あるいは引き裂く。
古き神々の腐敗臭がする。

憐れ
私たちの上に崩れ落ちる山のよう

裂け目にも等しい苦しみは
やがて消えてゆく夢などではあり得ない。
人が風の結び目に過ぎないというのなら はたして
それをほどくために これほど鋭い剣が必要なのだろうか?

皆して額を壁に押しつけ 涙でいっぱいになりながら
私たちが 学ぶのは
生きていることの脆さより むしろ
生きていればこそ知る まぎれもない現実ではないか?

鞭打たれつつ教えられ。

素朴な息吹、軽やかな風の結び目、「時」の粗い編み目の草叢から
こぼれ落ちた種、光と影の間を歌いつつ横切っていく声がするだけで、
それらは  跡形もなく消えていく。
それは声なき声、というよりむしろ在る瞬間、
平穏な拡がり、最も透きとおった陽射し。
何なのだろう?血の中に刃を持つ我々とは?

師が引き裂かれ、引き抜かれる
私たちが身を寄せ合う この部屋も引き裂かれる
胸の糸が叫ぶ。

引き裂かれるのが「時のヴェール」なら、
壊されるのが「身体の檻」なら、
あるいはそれが「新たな誕生」なら?

傷口の穴を通って行くのだろうか 
生きながら永遠の内に入っていくのだろうか・・・

冷静沈着な助産婦 あなたなら 
新しい生の うぶ声を 聞いたか?

私には炎を失ったしか見えなかった
その渇いた唇の間には 
どんな鳥の飛ぶ余地もなかった。 

息は絶えた。

あたかも朝風が 最後の蝋燭に 打ち勝つように。
    (Airs Oiseaux,fleures et fruits p.111)
私たちの内に かくも深い沈黙があったのかと思い知る。
彗星が私たちの娘たちの そのまた娘たちの夜へと向かう音が
聞き取れるほどの静けさだ。

もう これは彼ではない
奪われた息、彼とは知れない 

亡骸。一つの流れ星の方が遠くない。

それを 誰か運んでくれ。

一人の人間(この 風の中の巡り合わせ、
雷の下では ガラスやチュールの虫より か弱く、
善良で口うるさく 笑顔のあたたかい 岩親父、
仕事と 想い出に見合い ずっしり重くなった壺)、
息を奪うがいい、腐敗だ。
いったい誰の復讐だ?何の仇か、この仕打ちは?

ああ、ここをきれいにしてくれ。

目を上げてみた。
窓の向こう  陽の光の奧に
それでも なお イメージが去来する。
存在の機織り 天使が 空を修復している。

子供が 死者に供えるために土船をおもちゃ箱から取り出した。
ナイル川は 心の淵まで流れるらしい。
ずいぶん前に、死者の国の旅する墓の舟を見つめていたことがある
三日月の角に似ていた。
今では 舟や、バルサム香も、
いかなる地獄の地図も 魂に役立つとは思わない。
だが、子供の心からの思いつきなら、あるいは この世界を出て、
つながり得ない物さえ つないでくれるのかも知れない。
それとも、舟に慰められるのは 岸辺にいる私たちの方だろうか。

今も尚、彼が何らかの在りようで存在し(一切無だとは誰にも決めつけられまい)、
私たちに近い意識まであるとすれば、
巣箱に集めるにも灰しかない彼が留まっているのは彼方ではなく、ここで、
ちょうど約束に「石の傍らで」と言って待つように
私たちの足音や涙を必要としているのかも知れない。
知る由もない。いつの日にか、
石は永遠の草の中に沈み込んでしまうだろう。
遅かれ早かれ、今度は招かれていた私たちも不在となり、
その目印の石も埋もれ 影も形もない場所には、
その(待つ者であり 招かれる者であった)影たちさえいない。

むしろ、告別の後、私のたった一つの願いとは、
この壁に背もたれつつ、
向こうには陽の光だけを見つめながら、
あの山々を源に持つ水の助けとなること。
水が草々の揺りかごを穿ち、無花果の低い枝の元へと、
八月の夜を越えて、
生の息吹で一杯の小舟を もたらすように。

そして今、天の滝に身をさらし、たなびく風の髪に 
頭のてっぺんからつま先まで委ね、
ここで、何よりもきらめく葉叢のように、
ノスリ(鳶・とび)にも負けない高みで
見つめながら、
聴きながら
(蝶たちは 行き先を失った炎のよう、山々は 霞のよう)
一時、私をとりかこむ空一円を抱きかかえ、
私は そこに死が内在していると思う。

光の他、ほとんど何も見えない
はるかな鳥たちの声は光の結び目

山全体が陽に燃え
もう私に覆い被さることなく
私を熱くする。





それでも お父さん
あるいは 
夕暮れの暖炉より乏しい灰だけを私たちに残して
すっかり消えたしまったあなたは

あるいは 不可視に住まう不可視 (見えざる世界に住まう見えざる者)

あるいは 私たちの心の住み処に撒かれた種

何でもかまわないから
どうぞ これからも忍耐と笑顔の手本として
テーブルやページ、そして葡萄を照らす 太陽のように

私たちの背中をずっと照らしていてくれますように。





                       作者義父惜別の詩
                       作者に深く感謝しつつ
                       拙訳を亡き義母と父におくります

2013年8月12日月曜日

フランス詩 夏の夜明けの月  Jaccottet



「夏の夜明けの月」 
        
しだいに明りゆく空に 
未だ煌めく この涙 
ガラスにつつまれ ゆれる炎       
山々の眠りから
黄金色の陽炎たなびく今

夜明けの ゆらぎに 月は懸かる
約束の熾火と なくした真珠の間に






 「暁月夜」あかつきづきよ  (意訳)

しだいに白みゆく 風の中で
ひたすらに輝いている涙は
ガラスにつつまれた微かな炎
山々の眠りから 
金色のかげろうが上がっていく

君を 今一度 抱きしめ
君の声を 暁にとどめたい
失われた真珠は 陽の光を受け 
影のように 燃え続けるだろう


 陰陽の 間(あわい)に かかる 夏の月


Airs                                Gallimard,1967

LUNE  A  L’AUBE  D’ETE  sp.149

Dans  l’air de plus en plus clair
scintille encore cette larme
ou faible flamme dans du verre
quand du someil des montagnes
monte une vapeur dorée

Demeure ainsi suspendue
sur la balance de l’aube
entre la braise promise
et cette perle perdue

2013年8月11日日曜日

フランス散文詩 野の昼顔に寄す  Philippe Jaccottet


AUX LISERONS DES CHAMPS    


                          Et, néanmoins       Gallimard 2011



 野の昼顔に寄す                    フィリップ・ジャコテ


   (また?

   またしても花について歩みがどうの文がこうの、花にまつわる話をこの上いくらしてみたところでおよそ同じ歩み、お定まりのフレーズだろう?

   そんなことを繰り返しても仕方が無い。何しろこの花は、ごくありきたりな、地を這うように生える最も低き者たちだから、その秘密は他よりずっと判読が難しく、だがそれだけに得難く肝心なものと見た。

   もう始まってしまったから、また始めるしかない。感嘆、驚き、当惑しながらも、その実、感謝もしている。)

   《露もなく坂道に咲く花たち、旅人の哀れを誘うように、一つ一つ会釈するがいい、その影にも優しく、もの思わぬ頭にも優しく、然すれば彼は胸をふるわせ花の面に寄り添うであろう。何かの表徴のように、恥ずかしげに呼びかけ[] 一年を通して存在の冠のように[]薔薇色のサフラン の穂、絹の松虫草、先に逝った友の眼差しに似た青、セージ、九月に再び咲いたセージ、そしてブリュネル、こうして名を挙げられる花も、名もなき花も、、、》

   ここ数年夏になると、花々を讃えるルーの連祷の始まりが思い浮かぶ。彼の地ジュラより少し埃っぽいとはいえ、この道を歩けば、同様にセージに縁どられ、まれにはサルビアも見かけ、しかも別のやり方で私の心に触れてくる別の花が咲いている。この愛すべき挨拶は、想像もつかないほど孤独な散歩者から、時折目につく、いわく繊細きわまりない道連れである花に送られ、その道連れもまた慰めか助言のように 彼に囁き返す。しかし、私が彼のようにそれを掴もうとしたところで叶うはずもなかった、私の中で物と言葉はうまく結びつかず、トーンも彼のように長く保つことなど出来ないし、私の息はもっと短く反立しており上手くいかない。
  その上、ルーが言うように、これらの花や、以前例に挙げた鳥たちが、何かしら私に言うためにメッセージを送ろうとしているとは思えないし、私宛にしろ他の誰か宛てにしろ、そもそも一体誰がそのメッセージを託したのか知る由もなかった。
  とはいえ、花が無意識の言語を表すと言ってみたい気持ちもあったかもしれない、背後から花にそれを吹き込む何者も無く、内的な状態、一種起源のような所から来る私へのよびかけのようだと。まるで初めての花園に、有りのまま咲き得たかのような花たち。
   そんな試みは、ちょうど学校の教師が、相当できの悪い子供に何か複雑で秘密めいた観念的な事を理解させるために、自分の言葉にあれこれ散りばめるような具合になったかもしれない。(《野の百合を見なさい、働く事も紡ぐこともしない、、、》ーーしかし、私の花は、全く別の教えのために、花開いてくれたのだった。)
     

空の光に向かい、うち開くもの、これら地を這う花、陽が昇れば消え行く影さながらに。

野の昼顔、暁が足元に撒く、ひそやかな知らせ。

地面すれすれで、オーブ(よあけ)と言っている子供の口のような。

それを、足元に置かれたつましい盃とするなら、それで何を飲もうか?


  薔薇色の昼顔 (おそらく《働くことも紡ぐこともない野の百合・聖書》とはこの花) 
挨拶ができなくなる前、おいおい冷たくなる水の方へ流されてしまう前に挨拶をしよう。

  死の影が、冷たい雲のように花の上にさしかかる前に。


  要なく価値なく力もない物。

  それでも、これほど身近で、存在感を持つ花があっただろうか、きっとそれは、今にも終わりが来そうだという (差し迫った終わりへの)不安のせいかもしれない、夜になる寸前に、光が一際輝くように見えることがあるように。
   この身近な花は、駆け巡る道行の終わりを忘れさせるが、やがて散歩者は、自分の歩き慣れた家路でさえ、否応無しに、全ての家から可能な限り遠い場所へと導くものだと、知るに至る。
    

   全て、自ら開く花という花は私の目を開かせるようだ。思いもかけず。花にしろ私にしろ、一切意識的な行為なしに。

   花は開く、自らをはるかに超える別の何かを開きながら。あなたが思わず立ち止まり嬉しい気持ちになるのは、それを予感するからだ。

   そして、これからあなたはひと時、恐れる者、信じる者、あるいは知らないふりをする者となって震えることがあるだろう。?


   薔薇色の昼顔、そして未だ聞いたことのない純粋な言葉、道すがら、訳し難い言語を聞く(もともと言葉でもなければ人の口でもないが)

   それでもなお、信じたくなる、歩きながら耳にした、不意を打つような声を、そしてもしその源を探ろうものなら、たちどころに消えてしまうとしても。


   ヘルダーリンは、その詩「ライン」の中で河のことを思い「湧き出づるもの」は「エニグム・謎」であると記している。それが正にこの花にも当てはまる。その輝きは理解し難く見たこともないほど生き生きとしている。

   結局もうこれ以上どうにも言い様がないわけだ。しかし続けて行こう。

   謎が少なければ、光も弱い。


   ヘルダーリンの言う「湧き出づるもの」とは彼の源たるライン河であり、それは起源であると共に、東方に起ち上がる夜明ともなりうる。
   クローデルに言わせれば泉とは「pur seul 完璧な独自性、源であり今ここにほとばしるもの。」


   超えることのできない、無声の、ぎりぎりの場所で、神なる者の夢が生み出され
開花する。

   常に地すれすれの泉、これほど身近な、そして遥か彼方の。




   他事を思っているか何も頭にない、通りがかりの者に与えられた、これら花々は、かくも非象徴的であればこそ、彼にある種、目に見えない「移動」をさせ、彼の気づかぬうちに空間を変える。決して非現実や夢に陥るわけでなく、むしろ、扉も道もない入り口を通ったとでも言うべきか。
     

  そして、もしそこに花の「内部」と言うものがあるとしたら、私たちの何を以ってすれば、花と一致できるような内部と言うことが出来るのだろうか?


   花々は離れ去り、かくして我々は遠ざけられる。野に置かれた夥しい数の鍵に。
花を見れば、見るなり立ち所に、視覚するよりも遠くが見える (是が非でも) ということになるかもしれない?
    儚い花の狭間から。

    ぐっと背の曲がった男が土さえ本として読むようなものだ。
    最後の読書か。


        ※ この写真は昼顔ではありません。
           地面から口を開けているように見えました。(訳者撮影)
          
           地に開く 昼顔の白 時忘れ